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2020年1月14日火曜日

5ANZと日本の政治家の違いーオーストラリアのモリソン首相


今回は豪州の政治家で現首相のスコットモリソンにスポットを当ててみましょう。


家族団らん ABC NEWS 18/9/19

上の写真は2018年に首相に就任したモリソン首相とその家族の写真。この人はあるインタビューでこう話しています。


「家族団らんはとても大切なこと。忙しいけれど日に2回は家族と過ごすようにしている」


オーストラリアの首相も家族を大切にしているのですね。


欧米、といっても全ての国を承知しているわけではありませんが、少なくとも英米系の国々の政治家は選挙になると決まって家族と一緒に公の場に出てくるシーンがあります。

              
首相再選後のスピーチ The Epoch Times 2019 5 26 


これは自分は家族を大切にしている人間だ、ということをアピールする一種のパフォーマンスだと思いますが、


個人、家族を何よりも大切に考えているヨーロッパ系国民ですから、そういった行動は割に自然な振舞にも見えるし、それほど意図してやっているものではないのかもしれません。


それを見た国民も『家族を大切にできる人間なら、そんなに悪いことはしないだろう』


という暗黙の了解があるのでしょう。


日本で政治家の資質を議論するときにスッポリと抜け落ちているのが実はここです。


政治家に必要な能力とは確かにいろいろありますが、家族を大切にできる人間かどうか」という視点が全くありません。




           *  *  *




言うまでもないことですが、人間にとって家族ほど大切な存在はありません。家族は国家社会の基本的単位ですから最も大事にされなければなりませんし政治の原点はここにあるべきなのです。


家族がしっかりしてないと社会もぐらぐらしてきます。また例外はありますが、子供の成長にも影を落とします。それが後々大きな問題となって社会に跳ね返ってくる、結果としてとてつもない国家的損失を生んでしまいことになりかねません。


さらに家庭環境に難がありバランスの取れた人間性を身に着けられなかった人が指導者になるとどうなるか。


あの永田町に見本が沢山あるので説明不要ですが、嘘、隠蔽、改ざん、税金の私物化、交通違反見逃しと何でもあり。最近では逮捕もみ消しまでやるという底なし状態にまで堕落腐敗しています。



ああいうことをする人達には国民目線は皆無で、あるのはムラの利益と自分の保身だけ。


空き地があれば決まって建物を建てたり土木工事を施したりするのも、結局は工事業者からの見返りがあるからで、公園を作って住民に安心、安全な空間を、という発想がありません。


家族を大切にできる政治家としての目線はやっぱりありません。



またいい家柄に生まれたとか、親が高学歴だとか、そんなものはいい家族かどうかということ全く無関係。むしろ悪い方に作用する場合が多いこともあの二人が見事に実証してくれています


特に〇生氏は、もう見ているだけで恥ずかしくなるのですが、なぜああいう人にガツンと諭す人がいないのか、不思議でしょうがありません。


「武士道よ、どこへ行った!!」



子供に


「嘘つくな」
「物を盗むな」
「弱い者いじめするな」


と躾けるだけで立派な親なのです。


そう、あの二人にもいいたい。


「嘘つくな」
「人の金(税金)」を盗むな」
「(消費税なんかで)弱い者いじめするな」(山本さんのコピー)


しかしながら、悲しいかな日本では家族の大切さを説く政治家を知りません。山本さんのスピーチにそれに近いものは感じますが・・・。


それは何故か、そこがムラ社会たる所以なので、ここではそれ以上立ち入りませんが、家族がいかに大切かはこれは本来いわずもがなのことで、というより動物の本能として当然のことなわけで、誰でもそれこそ本能的に理解できるはずのものなのです。


そこに日本の未来を信じて私は言い続けたい。




この画像ではわからないが今年の総選挙ではわざと家族で貧相な
身なりをして庶民派をアピール。
これが功を奏して選挙に勝ったという人がいる
The Guardian 19/1/9



それに付け加えたいことがもう一つ。ANZ社会を見ていて感じたことですが、


活力や愛国心というものは、家族を大切にできる社会、人を大切にできる社会でこそ自然と生まれてくるものだ、ということです。


ここは強調しても強調しすぎることはありません。




           *   *   *    



愛国心の話が出たところで、最後は豪州の国歌と国を代表する曲を計4曲ご紹介しましょう。

舞台はAFLラグビーの決勝戦の開会式。あのオーストラリアを代表するグループ、シーカーズが4曲歌います。国歌は最後。日本でも昔大ヒットした曲もありますが、ご存知でしょうか。


他の3曲は豪州精神というか豪州魂が伝わってくるような曲です。是非お聴きください。





*シーカーズ動画:日本でヒットしたのは「ジョージ―ガール」。 次の歌「ウォーティングマティルダ」は第二の国歌とも言われほど有名な歌。しかし歌詞はかなりユニークで日本人は「何でこんな歌が」と思うはず。反権力のシンボル「ネッドケリ―」の話と併せて考えると面白い。

*モリスン首相画像画像下に記述







2020年1月6日月曜日

1 海を渡った隠密剣士 

 

弱い者虐め、虐待が止まりません。



ああ、日本は情けない国になってしまったのか。



「弱い者を虐めるなんて卑怯だ、最低の人間だ」

「血も涙もある人間なら強い人間にこそ立ち向かうべきじゃ
 ないのか」



子供の頃よく観た「隠密剣士」(*1)、少なくともあの時代まで日本には「弱き者を助け、強きを挫く」精神(*2)が残っていたのですが・・・



アマゾンから。詳細は下記


「弱き者を助け、強きを挫く」とは、武士の一つの心構えで、明治以降も日本人のあるべき姿として引き継がれてきたように思います。


実際、明治から終戦後間もない辺りまでは、正義感に燃えて強者に立ち向かうサムライがいて、


例えば、学校に来た陸軍の軍事教官の目の前で反戦演説をやって旧制高校を退学させられた元自民党副総裁の河本敏夫氏の話は割に知られていますが、

旧制中学となると、より血気盛んだったようで生徒が主導した校長排斥運動などは当時の「文化」と言ってもいいくらい頻発していたのですね。


そういえばあの小説の「坊ちゃん」も曲がったことが大嫌いな人でしたが、


あの時代はそういう人が、実際多かったようです。



1953年の映画「坊ちゃん」懐かしい名前が・・・



           *  *  *  



今の日本はどうでしょう。「弱き者を助ける」人はほんと少なくなり、代わりに増えたのは「弱い者に無関心で冷淡な人」


「強きを挫く人」となると、もう全く耳にしなくなりました。代り増えたのが「ヒラメ」


「強い者を挫く人」がいなくなれば、弱い者虐め・虐待が跋扈しだすのは当然です。


本来ならマスコミが「強い者を挫く人」の先頭に立たねければならないんですけど、そういう役割を認識しているようには思えず全く非力。それでは政府は虐め・虐待問題を真剣に取り上げるはずがありません。


子供を守るはずの学校はもっとひどくて隠蔽どころか、虐め・虐待を助長する教師までいる始末。


「ああ、なんてこった。サムライの風上にも置けない姑息で。
 卑怯な輩ども!」


と、隠密剣士は嘆いていることでしょう。


そして、その結果どうなってしまったか



虐め・虐待の件数、酷さとも誰が見ても今や異常レベルとなってしまいました。


独断ですが、発展途上国や独裁国家を除けば、日本の人権侵害の酷さは世界最悪と思います。


バスや電車に乗れば、障害者や老人が立っていても知らんぷりしている若い人の多いこと、TVや雑誌、ネットを見ればいつも人のうわさ話や悪口ばかり。


日本から民族としての矜持はおろか道徳も常識も廃れつつあるように見えて仕方ありません。




NSW州のとある学校で反虐め反暴力に取り組んでいる風景
                                                                                             
(上の写真:豪州では政府がThe National Day of Action Against Bullying and Violence なる日を設けて子供たちに反虐め、反暴力の取り組みを行っています)


このまま歪んだ社会を放置しておけば、犠牲者は増えるばかり。


一体、日本は心愛ちゃんのような犠牲者を何人出せば気が済むというのか。


「人の命を何だと思ってるんだ!!」


と、また叫んでしまう私。


こうなったら兎にも角にも、一刻も早く隠密剣士に舞い戻ってもらうしかない!!


と思っていたら、今私がいるオーストラリア(豪州)、前に住んでいたニュージーランドの人々は隠密剣士もびっくりするほど「弱きを助け、強きを挫く」国民だったことに気が付き、ちょっとびっくりしています。


両国合わせてANZと呼んでいますが、


豪州
NZ


調べたらなんと、隠密剣士はANZでも放送され大変な人気を得ていたではありませんか。


下記の動画は主役の大瀬氏がシドニーを訪問した時のもので、ビートル並みの熱烈歓迎ぶりだったそうで(*2)、まさかと思って見たら確かに凄い!







この動画を見て思ったんですが、「弱きを助け、強きを挫く」って何も日本だけの専売特許じゃなくて、国境を越えて人々に響く言葉じゃないかという気がしています。


ただ、日本人と違って、ANZ人は当たり前のようにやってしまうところはホントに凄いのですね。


だから彼らから学ばなければならないことは沢山あるんじゃないか、そう思うようになりました。


勿論、ANZ両国にも悪いところ、嫌いなことろも沢山あります。まして個人主義の国ですから良い人、悪い人、面白い人、変な人といろいろです。


でも社会全体を見渡すとなかなかな国なのですよ。



コアラ親子(Pixabayから)



ANZは日本とは全く異質で、しかもとても風通しのいいわかりやすい社会ですから「彼を知り、己を知る」にはまたとない「教材」になるはずです


次回から彼らの一体どこが「弱きを助け、強きを挫く」国民だといえるのか、


更に武士道とは無縁の彼らが、何故そういう行動を取れるのか。そんなことを彼らの人となりや暮らしの中から探ってみようと思います。


そうすれば、日本の新時代にふさわしい隠密剣士像が見えてくるのではないでしょうか。


    
*1「弱き者を助け、強きを挫く」:武士道の「惻隠(そくいん)の情」に通じる「弱者への労る気持ちと、悪へ立ち向かう勇気を持つ」の意味。直接的には明治9年上演の歌舞伎の舞台台詞「総じて武道の極意と申すは、弱き者を助けその強きを挫き、いま目の前の利を得ずとも」からきていると言われている。

*2「隠密剣士」:1962年に始まったテレビ時代劇。40%近い視聴率を取るほどの人気番組だった。隠密剣士は徳川幕府の隠密として治世安定のために悪と戦ったが、その理由を「徳川家のためではなく、民百姓の安らぎのため」と発言している。(Wikipedia「隠密剣士」から)

*隠密剣士画像:隠密剣士放送開始50周年記念 甦るヒーローライブラリー 第1集 隠密剣士 傑作選集 デジタルリマスター版 [DVD]から


*映画「坊ちゃん」画像:下記から引用https://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/027/258/33/N000/000/001/145355547076706022180_bocchanmaruyama.jp


反虐め反暴力の取り組み画像:下記から引用
https://www.facebook.com/LiverpoolBoysHS/photos/a.504552352961542/2112728635477231/?

*隠密剣士動画:Shintaro The Samurai Sensation That Swept Austraria in the 1960'[SBS 2009] から  

2019年8月14日水曜日

4ANZと日本の政治家の違いーアーダーン現NZ首相のこと


1 NZの隠密剣士

2017年10月に37歳で首相に就任したNZのジャシンダ アーダーンという人、なかなかな人物です。


アーダーン首相 引用:ABC NEWS 18/10/22



飾らない人柄、しかし芯の強さを感じさせる物腰はリーダーとして申し分ありません。


この間のクライストチャーチで起きたモスク銃乱射事件では、迅速な行動もさることながら、テロリストの意図を言葉で打ち砕いて見せたメッセージや、


徹頭徹尾、被害者家族に寄り添ってモスリムのスカーフ (hijab)まで被った姿に、今までのリーダーとは一味も二味も違う強烈な指導者像を見せてくれたように思います。


事件後イスラム教徒指導者たちと話し合う 引用: stuff 3/16


この時取った彼女の行動に、世界中から称賛の声が相次いでいます。


英国の新聞 The Guardian は、彼女をこう表現しています。



 "Jacinda Ardern showed what the world leader should be" 

  「J. アーダーンは世界のリーダーとはかくあるべしと言う姿を見せてくれた」



そんな彼女を見て思い浮かんだ言葉があります。


「本当に強い人は優しい人」



犠牲者の家族を抱きしめるアーダーン首相 引用 BBC 3/21

そして、もう一つ思い出したこと、それは


「隠密剣士」


そう、彼女は南半球で生まれ変わった「隠密剣士」なのかもしれません。


「弱きを助け、強きを挫く」


アーダーン首相はまさに行動で示したのです。


彼女の行動は武士道でいう「仁」、つまりは情け。相手を思いやる心、弱き者への慈しみ、憐みの気持ちの発露に他なりません。


「相手を思いやれる心が人を強くする」のです。


          *  *  *  *  *


ANZという二つの国に住んで学んだ最大のこと。それは


「相手を思いやれる社会こそが強い国を作る」


ということです。


とりわけ婦人参政権を世界で初めて認めたNZ。

アーダーン首相は、女性や先住民マオリ、その他の弱者マイノリティの権利擁護にとても熱心なこの国のシンボル的存在になったと言えるかもしれません。



NZほど先住民に敬意を示す国も珍しい。政府の公式サイト
は勿論バイリンガル表示。パスポートも然り




右の人物はマオリ、左は英国系女性 痛いほど
先住民に配慮していることがわかります。

それに比べたら日本のアイヌ民族に対する配慮はゼロに等しい、というよりも冷淡といってもいい。

それはアジア、アフリカ系移民やその他障害者、生活困窮者などいわゆるマイノリティ少数派に対してもそうだ。


『う~ん、今の日本には思いやりのある人がホント少なくなってしまった。かわりに増えたのが自分勝手な人、他人に無関心な人』


それじゃやっぱり強い社会になれるわけがないし、案の定日本はからっきし弱い国になってしまった。


それは兎も角として、女・隠密剣士」 アーダーン首相とはどんな人なのかもう少し観察してみましょう


      *   *   *    *   *


2 家に帰れば庶民の一人に戻る彼女



仕事が終わってプライベートな時間に戻った時の彼女はどんな顔をしているのか。


「剣道着に着替えて」と思いきや(笑い)



ANZでは良き親であり、良きパートナー(又は夫/妻)であり、そして良き隣人であり、良き市民であることが何よりも大切にされる社会ですから


従って彼女も仕事が終われば真っ直ぐ家に帰り、ごく普通の市民の一人に戻って、皆と同じような暮らしをしているようです。


趣味や社交に時間を費やすNZ人も沢山いますが、彼らにとって一番大切なことは家族であり自分。そこまで犠牲にする人はまずいないでしょう。



ジャシンダには去年、つまり首相在職中に生まれた子がいるのですが、従って当然ながら育児もするし、家事もする、買い物にも行くし、庭仕事もする。写真のようにペンキ塗りもします。


引用: Stuff 17/9/23


勿論、彼女のパートナーが一生懸命「キーウィ―ハズバンド」ぶりを発揮して忙しい彼女を支えていることは言うまでもありません。


そんなジャシンダが先日、いつものように買い物に行ったら、その店でちょっとした出来事に遭遇したそうで、その時に取った彼女のある行動が話題になっているという新聞記事を見つけました。


果物、野菜はバラ売りが基本、独り者には嬉しい
引用:NEWSNOW 17/10/8

何が起きたのかというと、彼女が買い物の最後に支払いをしようと会計のカウンター行って並んで待っていた時のこと、


彼女のすぐ前にいた二人の子供連れの母親が、払う段になって財布を忘れてきたことに気が付いたのです。



ドジな私も今まで何回となくやってるのでよくわかりますが、ほんと格好悪いし、これほど惨めなことはありません。


さぞかしこの母親も慌てふためいたことでしょう。


それで母親が仕方なく諦めて引き下がろうとした、その時、


すぐ後ろでいきさつを見ていたジェシンダが、すかさずこの母親の買い物代を立替てくれたのです。



感激したこの母親、早速 facebookにその話を載せたそうですが、瞬く間にこの話が拡散してマスコミの知るところとなりました。




 オークランドのスーパーのチェックアウト付近 
引用:JTBの市内オリエンテーションサイトから



写真はその出来事があった時のショッピングセンター
でのものらしい 引用: Kidspot 19/4/4

それで後日、マスコミからその時のことをいろいろ聞かれることになってしまいましたが、


その時の受け答え、態度がまた実に印象深いもので




記者から何故そういう行動を取ったのか、との質問に


「何故って、彼女は母親だから」


と、たった一言。


『言わずもがなの事っしょ』


と言わんばかりに最後に「サンキュー」と言い残してさっと立ち去ったのです。


画像はそのインタビューを受けた時のもの 
引用:The Sydney Morning Herald 4/4


『う~ん、やっぱりただものではない!』



このように庶民と同じ暮らしをして、庶民と同じ目線に立てる政治家が国の舵を取る、これほど国民にとって心強いことはありません。


一流大学を出て一流企業に入ることではなくて、また贅沢とは無縁の生活であっても、人間らしく暮らせるようになることが一番大事なことなのだ。


そして困ってる人がいればお互いに声を掛け合って助け合う、という当たり前のことをこのエピソードは教えてくれているように思います。




オーストラリアもそうですが、政治家だろうかホームレスだろうが、移民だろうが人間関係に「序列意識」はありません。お互い対等な立場で付き合えるし、向き合える社会なのです。


だから必要な時にす~っと声を掛け合える社会になれる、といえるでしょう。


そして人間が人間らしく生きられる社会になれば、自然と自分たちの住む街、国に愛着と誇りを持てるようになるものです。


愛国心とは決して強制されるものではありません。


かたや毎日毎晩高級料亭やバーで、国民の貴重な税金を湯水のように浪費して恥も罪の意識もなく、そのうえ踏ん反り返っては民衆を見下して、


『なに、貧乏? そりゃあ自業自得だわなあ。それに生活保護があるだろう』

『なんだとお、虐め・引きこもりだって~。そんなの専門家がいるだろう』

『なに今度はアイヌ、難民だと? そんな連中まで知るかあ





と言わんばかりの指導者達。


そんな彼らが好き勝手やり放題になってしまっている国、日本



ああ、やっぱりアーダーン首相のような人に喝を入れてもらうのがいい。


日本が沈没する前に・・・。




以上


つづく